やっぱりYMOが好き

YMOディスコグラフィー

イエロー・マジック・オーケストラ (アルバム)

細野晴臣によるプロデュースで、坂本龍一と高橋ユキヒロと3人で楽曲を提供した。このとき高橋自身は作曲経験が浅かったため、坂本から作曲の方法を聞いたり、鼻歌を坂本が書き留めて譜面化するなどしていたという。細野主導で作業が進められたため、アルバム全体としてはアメリカン・ロックの雰囲気を持っている。また、当時細野は本名ではなく「ハリー細野」と名乗っており、プロデューサー名のクレジットも「HARRY HOSONO」となっている。

「東風」以降(LPレコードのB面)のノンストップ構成は、当時ディスコ向けメドレーアルバムをリリースしていたミーコの影響によるもの。また、ジョルジオ・モロダーのアルバム『永遠の願い』からも影響を受けたと細野はコメントしている。
ジャケットデザインは脇田愛二郎。
アルバム制作費は当時の倍に当たる800万円をかけていた。
アルバムには収録されなかったが、お蔵入りした「インド」(仮タイトル)がある。
翌年アルファレコードがアメリカのA&Mレコードと契約。本アルバムをリミックスした『イエロー・マジック・オーケストラ (US版)』がホライズン・レーベルからリリースされる。アメリカでのリミックス版を「米国版」(またはUS版)、オリジナルを「日本版」と呼ぶこともある。現在ソニーからは「日本版」「米国版」の他、解説などを省略した廉価版として両方が入った2枚1組のものも発売されている。
2005年1月26日にバンド「といぼっくす」がアコースティック楽器で本アルバムを完全カヴァーしたアルバム『アコースティックYMO』をリリース。シムーンとマッド・ピエロではヴォーカルに細野が参加。コンピューター・ゲームの電子音までも生楽器で再現している。

イエロー・マジック・オーケストラ (US版)

前年にリリースされた「日本版」をアメリカ市場向けにアメリカにて全曲リミックスし、若干の手直しを加えたもの。レコーディングエンジニアはアル・シュミット。サウンド的な大きな違いは以下の通り。

 

「Acrobat(アクロバット)」が削除された
「東風 (Tong Poo)」が「Yellow Magic (Tong Poo)(東風)」に改題され、吉田美奈子のヴォーカルが加えられた
アル・シュミットがよく使うキャピトルのエコールームを使用したことで、アルバム全体的エコーが加えられ、音に広がりのある印象のフュージョン的なミックスになった。(日本版を録音した当時、アルファのスタジオAはEMTエコーマシンであった)
細野はこのミックスがYMOの人気に貢献したことは認めつつも、自身の意図と離れているためあまり好きではないと語っている。

 

US版が日本にてアルファレコードよりリリースされるに当たり、オリジナルの『イエロー・マジック・オーケストラ』が廃盤になる。その結果、次作『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』による爆発的売り上げの影響で、ファースト・アルバムはUS版が数多く出回り、こちらが一般的にはデビュー・アルバムとして認識されている。ルー・ビーチによるジャケットのデザインから「電線芸者」の異名を持つ。

ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー(Solid State Survivor)

細野晴臣のソロ・アルバム色の強かったファースト・アルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』に比べ、本作は高橋幸宏・坂本龍一の曲が中心となっている(細野作曲は全8曲のうち2曲のみである)。また、フュージョンの要素が一掃され、ディスコ、ニュー・ウェイヴ色が強くなっているのも特徴である。

 

当初、アルバムタイトルは「メタマー」(「突然変異」を意味する「Metamorphose」の造語)と付けられていた。

 

YMOの全作品の中でもポップで明るい曲調が多いこの作品は、まさにYMOを代表するアルバムである。そのわかりやすい内容から日本において小・中学生を含めた一般のリスナーに熱狂的に受け入れられた。本作のリリース後ワールド・ツアーに出ていたYMOは、ツアー先で日本国内での本作のヒットの報を聞き、大変驚愕したと後に語っている。本作は結果的にミリオンセラーを記録し、翌1980年の日本レコード大賞アルバム賞を受賞。日本でのいわゆるテクノ・ポップ全盛時代をつくり上げ、その後の「YMOチルドレン」と呼ばれる日本のミュージシャンたちが最初にテクノ・ポップに触れたきっかけをつくったという点で、非常に重要なアルバムと言えよう。

 

収められている楽曲も、前述の「Rydeen」や「Technopolis」はYMOを代表するものであり、「Behind The Mask」は後にマイケル・ジャクソンやエリック・クラプトンらがカヴァーするなど海外で高く評価された。

 

A面(1?4曲目)は最後の「Castalia」を除いて、ダンス・ミュージックを意識し楽曲がつないであるが、B面(5?8曲目)はロックやニュー・ウェイヴの影響が色濃く出ている。このアルバムの発売当時、YMOはニュー・ウェイヴに傾倒しており、市場戦略的に行なったフュージョン、ディスコなどの米国音楽へのアプローチから、徐々にメンバーの興味を起こさせる英国・欧州の音楽志向に移行していった過渡期のアルバムと言えるかもしれない。DEVOによるローリングストーンズのサティスファクションのカヴァーに影響された、ビートルズのカヴァー「Day Tripper」(ぎくしゃくとしたニュー・ウェイヴ的アレンジである。高橋の要望とされる説があるが、後に高橋は、「僕が要望するならジョージの曲をやる」と語っている)や、パンク的要素を取り入れた「Solid State Survivor」(メンバーは「デジタル・パンク」と呼んでいた)などにその一片が見受けられる。

『増殖』(X∞Multiplies, Alfa YMO1)

前作『パブリック・プレッシャー』の成功に気を良くしたアルファレコードは、同様のライブ盤のリリースを要請したが、バンド側はそれを拒否し、本作をリリースした。当初は10万枚限定盤の予定であったが、20万枚以上の予約が入ったため通常の形でリリースされた。

 

本作は10インチのミニアルバムで、特殊段ボールケースにセットして販売された。内容は新曲の間にコントが挟まれるという企画盤であった。本作に収録されたコントは1976年から1980年にかけて放送されたラジオ番組「スネークマンショー」からのものや、同番組に出演していた伊武雅刀、小林克也、桑原茂一らとYMOのメンバー等によるものであった。

 

 

[編集] 評論拒否騒動
収録されたスネークマン・ショーの中に、「三人の音楽評論家が登場する架空の座談番組で、その内の二人が、自分の功績を長々と自慢した後に生産性が無い論評『いいものもある、だけど悪いものもある』を僅かに付け加えるだけの発言をしつこく繰り返す」という設定のコントがあり、実在の音楽評論家達に対する批判及び揶揄である事が明白であった。その為と思われるが、当時の音楽誌では、いわゆる音楽評論を本業としていた者たちによる本作の評論はほぼ皆無であり、同業であるミュージシャンや、音楽が専門外である有名人などが、代って本作の評論を担当した。この状況は大多数の聴き手にも理解されていたと思われるが、制作した側がどこまで計算していたかは不明。

BGM(ビー・ジー・エム)

初期のヒット曲の並ぶ、派手なイメージのアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』などに比較すると、収録曲全体がおとなしく暗めのイメージを持つため、爆発的セールスこそなかったが、リーダーの細野晴臣自ら「たくさん売れた後だからこそやりたいことができたアルバム」と言わしめた問題作品。

 

YMO結成当初は覆面バンドとして進めたかったが、前作であまりにも売れすぎ、世間からは個人のキャラクターをさらに求めた。そのため、このアルバム以降、個人の顔と音楽性を前面に出すこととなった。

 

高橋幸宏によるドラムパートに加え、アナログリズムマシン(TR-808)の持つドライな質感と、非常にエフェクティヴな空間処理が目立ち、それらがアルバム全体の印象を特徴づけている。

 

10曲中、8曲が4分30秒、及び、2曲が5分20秒と演奏時間が統一された作曲方法や、意味深な歌詞のメッセージ性もファンの話題となった。

 

ジャケットデザインは奥村靫正である。

 

アルバムのタイトルは細野が決めた。これは「YMOの曲はまるでBGMのような曲だ」と批評した音楽評論家への意趣返しの意図があったという。また、冗談で「Beautiful Grotesque Music」の略とコメントしたこともある。

 

坂本が心身ともに不調であることと細野の進め方に対する反発からレコーディング日にスタジオに行かないなど、意識的にサボることがあったことを後日語っている。

 

細野がYMOのベストと思われるアルバムに、古くならない音と歌詞の内容の良さから『BGM』を挙げている。

 

このアルバムのために制作費500万円でテレビCMが作成された。細野が老人、高橋が警察官、坂本が看護師の姿で、ニュース・キャスターとしてスネークマンショーの伊武雅刀が出演している。放送当時、音楽アルバムのためにテレビCMが作成されることは非常に珍しいことであった。

テクノデリック (Technodelic)

『テクノデリック』は世界最初期にサンプリングを利用したアルバムで”世界初のサンプリングミュージック”と言われることがある(詳細は後述)。

 

アルバム全体として、ミニマル・ミュージックが取り入れられているのも特徴であるが、後日細野晴臣は「YMOのミニマルは完成せずして歌謡曲路線に行ってしまった」とのコメントを残している。

 

前作『BGM』ではほとんど使用されていなかった生楽器が強調されているのもこのアルバムの特色である。

 

アルバムのタイトルは「テクノ+サイケデリック」の造語である。

 

細野がこだわっていたプロデュースのクレジット名が今回は「細野晴臣+YMO」となった。

 

前作『BGM』作成中に心身不調だった坂本が韓国旅行をきっかけに元気になった。そのときインスパイアされた内容が「京城音楽」で表現されている。しかし逆に細野が不調に陥り、その状態が「灰色の段階」という曲名で表現されている。

浮気なぼくら (NAUGHTY BOYS)

メンバーのソロ活動や他アーティストへの楽曲提供などを経て、大きく路線を変更したアルバム。当初アルバムタイトルは『キュート』と名付けられていた。歌詞はほぼ全て日本語が使われ、何処か歌謡曲を思わせるニュアンスの楽曲が並ぶ。

前作『テクノデリック』発表後、メンバーはソロ活動として様々なミュージシャンに楽曲を提供、ヒットさせている。それらの楽曲は歌謡曲として作られていたが、YMO独特のシンセ・サウンドもさりげなく使われており、その後の歌謡曲・アイドルソングに絶大な影響を与えた(テクノ歌謡参照)。
その後発表されたYMO名義のこのアルバムは、個々のソロ活動からの影響か歌謡曲を意識したものとなっている。一見すると前作までのリスナーにとってはまさしく「浮気な」歌謡曲路線へのレコード・セールスを見込んだ転向に見えるのだが、細野晴臣曰く当時のヒット歌謡曲とは一線を画した楽曲群であり、歌謡曲としてつくられたものではなく、むしろ『テクノデリック』の第2弾という位置付けのアルバムであると後に語っている。また、それまでのソロ活動の影響か、このアルバムでは、重厚な楽曲の細野、ポップな楽曲の高橋幸宏、繊細な楽曲の坂本龍一といったように、3人の特徴が顕著に現れたアルバムでもある。
この当時はTVに頻繁に出演しており、「クイズ・ドレミファドン!」や「オレたちひょうきん族」などのバラエティー番組への出演のほか、「THE MANZAI」での各人のものまねや高橋への頬を叩いてのツッコミなど漫才を披露した。このときグループ名を「YMO」ではなく「トリオ・ザ・テクノ」と紹介し、自らを「元YMOの...」と称した。

浮気なぼくら(インストゥルメンタル)

全曲ヴォーカル部分がシンセサイザーに置き換わったインストゥルメンタルとなっている。

「君に、胸キュン。」が「CHAOS PANIC」に、「以心電信(予告編)」が「以心電信(フル・ヴァージョン)」に置き換わっている。
曲順が入れ替わっている(「音楽」と「邂逅」、「Opend My Eyes」と「希望の河」)。
一部の曲はオリジナルにないパートが追加されたり、置き換えられたりしている。
ジャケットの写真は加納典明。
ソニーの再発盤では、オリジナルの『浮気なぼくら』とセット(2枚組)で販売された。

サーヴィス (SERVICE)

本来は前作『浮気なぼくら』を最後のアルバムとして散開(解散)する予定であったが、当時高橋幸宏がDJを担当していたラジオ番組「オールナイトニッポン」内でレギュラー出演していた、三宅裕司率いるS.E.T.(スーパー・エキセントリック・シアター)とのコラボレーションを、アルバム『増殖』と同じ形態でリリースすることを高橋自身が細野に持ちかけ、解散記念アルバムとして制作された。

メンバー共同制作の楽曲は少なく、それぞれ個々に作曲・歌唱しているため、ソロ作品のオムニバスアルバムに近い作りをしている。
すでに解散が前提だったため、メンバー間の衝突はなく、穏やかに作業が進められたと高橋はコメントしている。
初回版LPはイエロー・ヴィニールだったが、当初はオレンジ、イエロー、ブルーの3色が予定されていた。
コントの台本は三宅裕司が作成した。

テクノドン (TECHNODON)

1983年の散開(解散)から10年、奇跡の復活を遂げたYMOの最後のオリジナルアルバム。再結成当時、YMOというグループ名が権利上の関係で使用出来なかったため、YMO(ノットワイエムオー。実際にはYMOの文字の上に×)としてリリースされた。

当初、細野のベース、高橋幸宏のドラム、坂本のハモンドオルガンによる一発録りという案も挙げたが、細野の意向により、テクノアルバムとなった。結局、全盛期のテクノ・ポップの趣は無く、アンビエント色が全体的に強い仕上がりとなっている。
なお、当時売れていたドリームズ・カム・トゥルーの音源をサンプリングして使用する意向もあったが、著作権の関係でこれを断念。
アルバムのタイトルは三人で意見を出し合って決定(坂本が提案した「テクノ道」という発音から「テクノドン」が思いつく)。 曲順は高橋が決定した。8曲目と9曲目の場所については相当迷ったらしい。

 

発売当初「YMO=ライディーン=明るいテクノポップ」をイメージしていた多くのライトリスナーからは「重く、悲しい」「難しい」などの声が多く出た。しかし、このアルバムも後年徐々に再評価されていった。

 

しかし、1999年東芝EMIリマスター版のラインナップで再発売されたものの2003年のソニー盤ではラインナップから外れたため、廃盤のままとなっており再販が待ち望まれている。

 

アルバム発売直後には二種類のリミックス盤も発売されている。『TECHNODON REMIXES I』はテイ・トウワ、ゴウ・ホトダ&フランソワ・ケヴォーキアン、『TECHNODON REMIXES II』はジ・オーブがそれぞれ担当した。
また、このアルバムの楽曲を中心に東京ドームにてライヴ公演が行われ、その模様を収録したアルバム『テクノドン・ライヴ』がリリースされている。前述のジ・オーブは公演のフロントアクトをも務めた。

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